2018.02.15(thu)インド旅行5日目
タージ・マハルの次に向かうは「イティマド・ウッダウラー廟」。こじんまりとした建物ですが、実は“タージ・マハルの原点”とも言われている、とっても美しい霊廟なのです。
可愛いもの好きの方にオススメのスポットだよ!
白大理石の美しい霊廟「イティマド・ウッダウラー廟」
タージ・マハルから車で約20分ほどの距離、ヤムナ川の東岸にある「イティマド・ウッダウラー廟」は、ムガル帝国第4代皇帝ジャハーンギールの皇妃、ヌール・ジャハーンが父母のために建てたお墓。
アグラ観光スポットのひとつですが、タージ・マハルやアグラ城と比較すると観光客は少なめの印象。ゆったりとした時間を過ごせます。
では!さっそく、入口ゲートから中に入ってみましょう。
ゲートを抜けると庭園が広がり、庭園の通路の先にイティマド・ウッダウラー廟があります。
墓廟の壁はラジャ―スターン産の白大理石でできており、こじんまりとしているものの、その美しさにはうっとり!青空にとっても映えますな!
愛称は「ベビー・タージ」「宝石箱」
遠目に見ても、その白大理石の美しさが映えるイティマド・ウッダウラー廟。ムガル帝国において白大理石で仕上げられた最初の建物であり、施されている白大理石の透かし彫り技術などからタージ・マハルの原型になったとも言われています。
そのため、地元の人からは「ベビー・タージ」とも呼ばれているそうよ。
またこの廟で注目すべきは、壁面の多色の装飾。美しい花柄や幾何学模様が、優しい色調の象嵌細工で描かれているのです。
ではでは、エレガントな白大理石の透かし彫りや、色彩豊かな象嵌細工を見ていきましょう!
わー!お花が可愛いねぇ!
こっちもお花が可愛いねぇ!
ここは花と星のコラボだ!
同じように見えて、少しずつ異なる象嵌細工のデザイン。お気に入りの柄を探して廟をぐるぐるするのも楽しいです。
このような象嵌の技法はイタリア語で「ピエトラ・デュラ」、英語では「フローレンス・モザイク」と言うそうです。「ピエトラ・デュラ」は直訳すると「硬い石」を意味し、大理石だけでなく宝石などをカットして嵌め込んだり、表面に凹凸を出したりすることもあるんだって。ふーん。
よくよく見ると、象嵌に使われている石にも模様が入っていて可愛い。天然の石や宝石を使うから、こんなに表情豊かな模様が出るんですね。
イティマド・ウッダウラー廟の象嵌にはカーネリアン、ジャスパー、ラピスラズリ、オニキス、トパーズといった半貴石が散りばめられているので、「宝石箱」と呼ばれることもあるんだって。
たしかに、実際宝石箱だもんな
内部も美しい!繊細な透かし彫りは必見
イティマド・ウッダウラー廟は、外壁だけでなく内部まで美しい装飾で埋め尽くされていました。
複雑かつ繊細な白大理石の透かし彫りから、廟内部に柔らかい光が差し込みます。
これだけ繊細かつ華やかな装飾の廟を建てた皇妃ヌール・ジャハーンとはどんな人だったのだろう…と興味が湧いたのでちょっとだけ、調べてみました。
ヌール・ジャハーンはイランの貴族ミールザー・ギヤース・ベグの娘で、名はミフルンニサー・ハーヌム。一家はインドに移住し、父親はムガル帝国の第3代皇帝アクバルに仕え、アクバルの死後は第4代皇帝ジャハーンギールから宰相に任命されました。
ミフルンニサー・ハーヌムは頭が良く教養も備わり、加えて絶世の美女というとっても魅力的な女性に育ちました。
羨ましくてヨダレ出るな
ミフルンニサー・ハーヌムは一度は別の男性と結婚し子を設けましたが、なんやかんやあって夫が処刑。その後子どもと一緒にアグラへ戻ると、皇帝ジャハーンギールと結婚(もともとジャハーンギールが彼女に惚れていたらしい)。ミフルンニサー・ハーヌムは第一妃となり、ヌール・ジャハーン(世界の光)の称号で呼ばれるように。
その後は健康の優れない夫ジャハーンギールに代わってヌール・ジャハーンが国政を左右し、皇帝を凌ぐほどの力を得るようになったようです。この時代に、華やかなムガル文化が開花したんだって。最終的には継承者争い云々で失脚し、ヌール・ジャハーンは隠居&年金生活を送ったようですが。
でも彼女による華やかなイティマド・ウッダウラー廟からの、影響を受けた第5皇帝シャー・ジャハーンがタージ・マハルを建てたという流れを見ると、
才色兼備のヌール・ジャハーン、Thank you!
と私は思います。(軽い)
アグラへ行ったら、ぜひイティマド・ウッダウラー廟も忘れずに行ってみてね!
余談:歴史的遠近法の彼方で古典になりたい
突然ですが、私の好きな小説&アニメに米澤穂信さんの『古典部シリーズ』があるんだけど。古典部シリーズの「氷菓」という小説の中に、
全ては主観性を失って、歴史的遠近法の彼方で古典になっていく
という一文がありましてね。
タージ・マハルを建てたシャー・ジャハーンも、イティマド・ウッダウラー廟を建てたヌール・ジャハーンも遠い昔に実在していて。当時本人たちは色々思う所があっただろうけれど、こうして主観性を失って、歴史的遠近法の彼方(現在)の私たちにとっては確かに古典になっているな~と。
そう思うと私がずっと書いている駄文たちも、私が死んだら主観性を失い、歴史的遠近法の彼方で古典となって『昔は国境というものがあったらしい』『それぞれの国で通貨が異なっていたらしい』『言葉が通じない状況で旅行していたらしい』『日本からアフリカへ行くのに丸1日くらいかかっていたらしい』と面白がってくれる未来人がいるといいな。
なんて思う今日この頃です。
まぁもう既に20年位前の『航空券のリコンファーム』を行い、『トラベラーズチェックを現地で換金』し、『情報ノートを頼りに足で今夜の宿を探し』て、『ネットがしたけりゃ現地のネットカフェ(日本語なんて打てないよ)』へ行くみたいな旅も、現在では古典になりつつあるけどね。
あれはあれですごい楽しい旅だったよ、我が姉よ!
イティマド・ウッダウラー廟の場所
<つづく>
(この記事は2018年2月のインド旅ブログです)
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