ヨハネスブルク「アパルトヘイト博物館」で人種差別の歴史を知る

ヨハネスブルク アパルトヘイトミュージアム アパルトヘイト博物館 観光 旅の随筆
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2020.03.08 アフリカ南部4ヶ国旅 Day3

前回のあらすじ>

乗り降り自由なバスツアーでのヨハネスブルク観光後編。治安の悪そうな地域もバスツアーだと安心して見ることができました!『ホップオン・ホップオフ・バスツアー』、おすすめです。

本日はこの旅のSAORI的ハイライト「トゥゲラフォール(Tugela Falls)」を擁する国立公園近くの宿まで、レンタカーで約350km移動しなければなりません。よってヨハネスブルグ観光は午前中のみ。ホップオン・ホップオフ・バスツアーで下車できるスポットは時間的に1ヶ所が限界です。
(※ホップオン・ホップオフ・バスツアーに関しては前回記事をご覧ください)

我々がバスツアーで下車したのは「アパルトヘイトミュージアム(アパルトヘイト博物館)」。ヨハネスブルクを訪れたらぜひ行っておきたいスポットです。

アパルトヘイト博物館の基本情報

ヨハネスブルグ 市内観光バス 安全 ホップオン・ホップオフツアー
アパルトヘイト博物館
アパルトヘイト博物館(Apartheid Museum)

2001年に開館。かつて南アフリカに存在していた人種隔離政策『アパルトヘイト』の実態や、それに立ち向かおうとした人々の苦悩、そして1991年にアパルトヘイトが撤廃され新しい時代を踏み出した南アフリカの今を知ることができる。

営業時間

水~日・祝日:9:00 – 17:00
※2023年9月時点の情報。詳細は公式サイトをご確認ください。

入場料

大人:R150
子供:R100
学生:R100(学生証提示の必要あり)

アパルトヘイトとは

南アフリカで1948年から1990年代初めまで実施されたアパルトヘイト。白人と非白人(黒人、アジア系、混血)を隔離し、様々な立法措置によって白人を優遇、黒人など有色人種を蔑視・差別しました。

具体的にどのようなことが行われたかというと

  • 選挙権なし(1970年から選挙権は白人のみ)
  • 人種別の居住区指定
  • 就業の制限、劣悪な労働条件
  • あらゆる公的な場所が「白人専用」と「非白人専用」に分離
  • 人種間の結婚禁止
  • 教育(白人生徒の教育予算は黒人の10倍、黒人は義務教育なし)

などなど。
アパルトヘイトで最初に施行された法律は、1949年の混合婚禁止法。1949~1971年の間に施行された法律は148にのぼり、人々の生活に大きな影響を及ぼしました。

これを政府が主導して合法的に行っていたというのが恐ろしいし、30年ちょい前まで続いていたのが驚きです。

SAORI
SAORI

1990年代って、私小学生だもんな

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The Pillars of the Constitution

ではミュージアムの入口でチケットを購入し、敷地内へ入ってみましょう。

敷地内でまず目にするのは、中庭にある「The Pillars of the Constitution(憲法の柱)」。

アパルトヘイトが撤廃された南アフリカは1994年に民主化され、1996年に新しい憲法が採択されました。その憲法の中心にあるのが『democracy(民主主義)・equality (平等)・reconciliation(和解)・diversity(多様性)・responsibility(責任)・respect(尊重)・freedom(自由)』という7つの基本的な価値観であり、それらが中庭にある柱に刻まれています。

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ネルソン・マンデラ氏の言葉

博物館の手前にある池(?)の壁には、

“To be free is not merely to cast off one’s chains, but to live in a way that respects and enhances the freedom of others.”

というネルソン・マンデラの言葉が記されていました。

「自由であることは、単に自分の鎖を解くことではなく、他者の自由を尊重し高める生き方をすることである」

SAORI
SAORI

うーん、深い

びっくり浅いコメントですが、所詮“自由”という言葉を「一人暮らししたら夜中に出歩きたい放題だー!自由さいこー!」みたいな感じにしか遣ってこなかった私の感想としては妥当だと思います。“自由”の重みが全然違う。

今突然思い出したのですが、18歳で一人暮らしを始めた土地が千葉県の本八幡だったんですけどね。夜中に『大慶園』という24時間営業の謎アミューズメントパークに行きまくっていたんですけど、あの施設はまだ現役なのでしょうか?20年前で既に廃墟みたいだったんですけど。千葉県民からのコメント、お待ちしております。

SAORIの『自由サイコー!一人暮らし夜遊び話』はどうでもいいんで、先に進みましょう。

アパルトヘイト政策を追体験

この博物館はアパルトヘイト政策の一部を追体験できる仕様になっています。

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購入したチケットには「非白人(NON-WHITES)」か「白人(WHITES)」が印字されており、訪問者は恣意的に人種を分類されます。私たちは2人だったので、非白人1枚と白人1枚が割り当てられました。

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人種によって分けられた博物館のゲート

博物館のゲートは「白人(WHITES)」と「非白人(NON-WHITES)」に分かれており、先程購入したチケットに記されたゲートから入場する仕組みになっています。

これ、実際に体験したら物凄い衝撃を受けました。

学校の授業でアパルトヘイトのことを習って「人種によって施設が区別されたり、職種や居住地や教育が制限されたり、他人種との恋愛や結婚が禁止されたりしたんでしょ?」と頭では分かっていても。

実際に「はい、あなたは白人じゃないからこっちのゲートから入ってね」という“人種で全てを判断する仕組み”は、自分の全てを否定されたような気持ちになるのに十分なものでした。

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非白人ゲートから入ってみる
SAORI
SAORI

じゃ、私はNON-WHITESから入るね

おっくん
おっくん

じゃあ俺はWHITESから

我々も別々のゲートから博物館の中へ入ります。

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身分証明書がズラリ

中に入ると通路脇の鉄格子の中に、沢山の身分証明書が展示してありました。1950年の住民登録法によって16歳以上の全ての人が人種別の身分証明書を携帯し、要求があればそれを見せなければならなくなったのだそう。

人種は「先住民(アフリカの全ての原住民族・原住部族)」「有色人種(主に混血)」「アジア人(主にインド人とパキスタン人)」「白人(ヨーロッパ等)」の4つに分類されました。

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「白人以外のBAR」「非白人」などと書かれた表示板

「人口を人種別に分類すること」と「分類した人種を地理的に隔離すること」が基礎をなしていたアパルトヘイト。

人種別に切り離された土地に住み、学校や教会はもちろん、レストランや映画館、海水浴場、スポーツの試合も別々。この博物館のゲートのように別々の戸口から出入りしなければならないし、公園で座れるベンチや使える電話ボックスも(!)人種によって違いました。

博物館の天井には、そういった施設で当時実際に使用されていた表示板が展示されていました。

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違う人種と交わることのない人生

博物館の別々のゲートから入場した私たちは鉄格子で阻まれ、お互いの姿が見えていても、この通路展示が終わるまで合流することはなく、言葉を交わすことも出来ませんでした。

『人種が違えば人生が交わることは決してない』ということを暗に意味しているような展示。自分の意思とは関係のない力によって決められてしまう人生。途方もなくやるせない気持ちでいっぱいになりました。

アパルトヘイトの起源?ゴールドラッシュがもたらしたもの

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屋外展示「Journeys」

身分証明書の展示スペースを過ぎると、次は屋外展示。

ゴールドラッシュに湧いた1886年からの数年間に、南アフリカを訪れた人々(移民)の子孫の写真を鏡に転写した「Journeys」という展示です。

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みんな後ろ姿

鏡のこちら側には後ろ姿しか写っておらず、正面に回らないと人々の顔は分かりません。

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顔や人種は正面に回らないと分からない

正面に回ると、後ろ姿だけでは分からない様々な人種の人達だということが分かります。ゴールドラッシュの時期には、多様な人種が混在するコミュニティが形成されていたんだって。それがどうして人種隔離政策をするようになったのか。諸説ありますが、私なりの解釈は以下です。


1860年代に金とダイヤモンドの鉱脈が発見され、ゴールドラッシュわっしょい!モードになったヨハネスブルグ地方(当時はオランダ系移民の自治国)。各地からの多くの移民が押し寄せたのはもちろん、ケープ植民地を拠点としていた英国も「よっしゃ!ダイヤモンドと金鉱、独占したろ!」と併合する動きに。

そんなこんなで英国とオランダ系移民の自治国で戦争勃発(ボーア戦争)、最終的に英国が勝利し1910年「南アフリカ連邦」として独立。英国移民とオランダ系移民は同じ『白人』ということで落ち着き、今度は白人貧困層の救済・保護を目的に黒人を差別する方向へ走ります。

一番最初に黒人差別が形になったのは1911年の「鉱山労働法」。白人労働者を守るために、鉱山での賃金や職種を制限するものでした。こんな感じで白人の救済・保護を名目にどんどん黒人排除がエスカレート。安価で豊富な労働力も手に入り、白人ホクホク!


…といった感じですかね。

うーん…これ、公園のベンチとかまで分離する必要ある?公園のベンチに座れる人種を分離することで、一体白人の何が保護されるというのでしょう。お尻?どんだけデリケートなお尻だよ。

お尻の件は冗談ですが、南ア政府(白人政府)的には「南アフリカには多くの民族が住んでいて、それぞれが独自に発展すべき。アパルトヘイトは差別ではなく分離発展だ」と、多文化主義による合理的な政策アピールをしていたようです。ちょっと意味が分からなくて疲れてきたので、この辺でやめておきます。

この屋外展示の後は館内に入り、アパルトヘイト時代の写真や映像展示を見る流れですが、撮影禁止なので写真はありません。天井から下がる131本の首吊り縄のある展示は、政治犯として捕らえられ合法的に処刑された人数を表しているものでした。けっこうインパクトあります。

マンデラ展もやってます

博物館ではアパルトヘイトと闘い、南アフリカの大統領を務めたネルソン・マンデラの展示もあります。

が、もう書くの疲れたので端折ります。

ごめん、マンデラさんについては各自お調べ下さい。

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そうそう、この展示すごいんだよ。

一見、ボコボコした黒い棒が沢山突き刺さっている意味不明なオブジェですが。

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このビューイングポイントに立って見てみると。

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黒い棒たちがマンデラさんの顔になりました。

SAORI
SAORI

すごっ!

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マンデラさんの顔になるオブジェの近くには、カラフルな棒がたくさん。

SAORI
SAORI

なんだコレ

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これはね。マンデラさんの言葉の引用が館内に貼られていて、それぞれの言葉に青・赤・黄・緑・白の色が割り当てられているの。

んで、自分が一番インスパイアされた言葉と同じ色のスティックを選んで、

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スティックホルダーにさす!

SAORI
SAORI

じゃあ私、白にしよー!

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SAORI
SAORI

(マンデラさんの言葉の引用、まったく見てないけどな!)

おい。

ただただ、白が好きだから白いスティックをチョイスしました。誰か、白に割り当てられたマンデラさんの言葉が何だったのか教えてください。

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おっくん
おっくん

俺は黄色が好きだから黄色にする!

同レベルの人いたわ。

差別や偏見を考える機会に

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南アフリカ国旗

最後の展示スペースには、大きな国旗が。

人種差別や偏見と戦う決意をした訪問者はこの国旗の前のスペースに石を置き、どんどん積み上がる石の山が差別や偏見をなくそうという人々の意思の表れとなるんだって。

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日本に住んでいる日本人の私たちは人種差別されることが無いし、海外旅行に行ってもせいぜい「チーノ!チーノ!」とか言って馬鹿にされるくらいで、アパルトヘイトの非白人のように不利益を被ることはほぼ無いと思います。

だから授業で習っても、正直そこまで心にくるものはなかったけれど。こうしてアパルトヘイト博物館を訪れたことで、ハッとしたし、人種差別について色々考えさせられました。

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自販機発見!
SAORI
SAORI

ふぅ、なかなか見応えのある博物館でしたな

おっくん
おっくん

だね、のど乾いたし何か飲む?

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手書き&年季の入った自販機

まさかの手書き、そしてえらく年季の入った自販機。

5年前のコーラとか出てきそうな雰囲気です。

(これも自販機に対する偏見なのか?)

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「ガシャン!」

SAORI
SAORI

うわ!ちゃんと出てきた!

想像以上に冷えっ冷えのコーラが出てきました。なんなら期待していなかったお釣りまで正確に出てきた。絶対に飲みこまれるパターンだと思っていたのに。

『見た目は高齢期、体内年齢はバリバリ壮年期』みたいな自動販売機でした。

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世界中どこでもコーラはうまい
SAORI
SAORI

コーラうっま!

暑い日はコーラに限る。

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そんなこんなでヨハネスブルグを訪れたら是非、アパルトヘイト博物館を訪れてみてください。

<つづく>

(この記事は2020年3月の南部アフリカ4ヶ国周遊旅ブログです)

コメント

  1. 同じく薄っぺらいコメント紳士 より:

    非常に勉強になりました。
    学生時代の課題で記憶にはありますが、Saoriンゴと巡るとさらに身にしみて勉強になりました。

    • saorigraph より:

      ほー学生時代の課題だったんだー!
      英国好き(?)の紳士にはアレですが、アフリカに行くと「欧米諸国やりたい放題だなー!」と思う時もちょいちょい。
      人間社会で生きるって大変だなぁ。ペラッペラ同士、頑張ろうね