「羊をめぐる冒険」を読むのはモンゴルじゃなくていいと思った話

HSハーンリゾートホテル モンゴル リゾートホテル 旅の随筆
記事内に広告が含まれています。
スポンサーリンク
2019.06.12(wed)モンゴル旅行3日目

モンゴル旅行に発つ前に、こんなツイートをしていたSAORI。

モンゴルでは特に予定がないので、せっかくなら読書でもしてのんびり過ごそうと思い立ったのだ。これには色々リプをもらったのですが、最終的に村上春樹さんの「羊をめぐる冒険」を読んでみようと決めた。

理由は単純で『モンゴル=羊』という方程式が私の中にあったから。

私は今まで村上春樹さんの作品を読んだことがなく(ついでに言えば、旅人界隈ではバイブル的存在である、沢木耕太郎さんの「深夜特急」も読んだことがない)。村上春樹さんの作品が話題になる度に、読んでみようかなとチラっと思うけれど、思うだけで実際には手に取らずここまできた。

 

 

以前「村上春樹の作品ってどんな感じ?」と誰かに尋ねたら「女の子とすぐに寝る」と返ってきた。それはこの「羊をめぐる冒険」でも有効な証言なのか。

いやいや、だって羊をめぐって冒険するんでしょ?寝てる場合じゃないよ?寝るっていうか眠って体力温存しないと冒険はできないよ?冒険なめんなよ?
(この時点で私は村上春樹さんの文体も小説の内容もまったく知らなかった)

SAORI
SAORI

私だったら、羊をめぐって崖とか登っちゃうな~

そう、私の中で「羊をめぐる冒険」というタイトルのイメージはこうなのだ。

写真:pixabay

この写真は羊というよりヤギなのだけど。とりあえず冒険といったら、スタートダッシュでこれくらいの秘境を目指したいのがSAORIの心情。海を越え、崖を登り、標高3,000m越えの高地で、地上に8頭しか残っていないというような設定の伝説の羊を探したいのだ。

 

そんな私の心情は置いておいて。さっそく「羊をめぐる冒険」を読み始めたSAORI。

HSハーンリゾートホテル モンゴル リゾートホテル

開始7ページで主人公の『僕』が女の子と寝た。

SAORI
SAORI

おっふ

やれやれ。どこかの誰かが言っていたことは本当だった。まったくどうして君は息をするように女の子と寝るのだろう。あるいは、君は女の子と寝ることで息をしているのかもしれないし、そうではないのかもしれない。やれやれ。

(後に「彼の小説において、女の子と寝るという行為の描写は『何かと何かが結びつく記号』くらいに捉えている」と書いているブログを見つけて、なるほど、と思った)

ただ、私はこの小説を純粋な意味で楽しむには、いささか余計な知識が増えていたらしい。苦労せずにすぐ女の子と寝るとか、何かにつけてやたら「やれやれ」と言いがちだとか、テニス・シューズを履きがちだとか。熱々のブラックコーヒーを飲みがちだとか、クラシックやジャズを偏愛しがちだとか。

とにかく、私は無駄な情報を詰め込んでしまったようだ。

いや、あるいは私は必要な情報を詰め込んだのかもしれない。

結局のところ、これは私自身の問題なのだ。

 

 

と、それっぽく言ってみたところで。
要するに、私はまったく読書に集中できなかったのだ。

モンゴル旅行 草原

いくら何も予定がないとは言え、ここは異国の地。

モンゴル旅行 草原

ゲルの向こうの点々は、、、

『暮らすように旅する』というフレーズはここ数年よく耳にするし(そのスタイルはもう何十年も前に確立されていたらしい)、私自身暮らすように旅することにちょっぴり憧れていたから「読書をしてみよう」と思った部分もあったのだろう。

ただ今のところ、私にとっての旅は日常からの離脱であって『暮らし』とは別物なのだ。

モンゴル旅行 草原

羊とプリウスだぁ~!

つまり、私にとってはどんなに退屈な景色が広がろうが、どんなに退屈な時間が過ぎようが、それが旅行中であるならばそれは紛れもなく非日常であって、その退屈すらをも全て真正面で受け止めたいと思ってしまうのだ。

そんな非日常の中で、村上春樹さんの独特な文体の小説、ファンタジーとリアリティと過去と現在が入り混じったような世界に入り込めるかと言ったら、答えは否。「やれやれ」の数を数えることくらいしか集中出来ない。

ここまできてやっと、私は旅行中に読書できない人間なのだと認識した。私がフィクションの世界に入り込めるのは、何の変哲もない日常においてなのだと。

HSハーンリゾートホテル モンゴル リゾートホテル

逆におっくんは旅行中も時間があれば本ばかり読んでいる。

そこが日本だろうがモンゴルだろうがオーストラリアだろうがモザンビークだろうが、彼は本ばかり読んでいる。この人のことは良く知っているけれど、この点は良く分からない。とりあえず、私とは違うということだけは分かる。

 

 

「羊をめぐる冒険」は『羊』という単語が出てきたところで読むのをやめ、テラスに出てリアルな羊を眺めて過ごすことにした。きっと今の私にはそうすることが適している。

モンゴル旅行 草原

点のような羊、あるいは羊のような点と、遠くを走る貨物列車を眺める。

モンゴル旅行 草原

ここでは日常の一コマなのだろうけど、私にとっては非日常の景色だった。

モンゴル旅行 草原

列車と羊にフォーカスしていた視点を元に戻すと、雲の影が目に付いた。それはもう、ものすごく。

SAORI
SAORI

こんなに雲の影を意識したことってあったっけ?

多分、私は普段これを「雲の影」としては見ていない。「日陰」とか「曇り」とか、そういう類のものとして見ている。なぜなら雲の影はビルやらマンションやらで遮られ、地面にそのままの形で落ちてくることがないし、遠くから雲の影を眺めることもない。あるとすれば、雲の影の中にいて「日陰になったな」とか、雲の影の端で「陽が出てきた」と思うくらいだ。

モンゴル旅行 草原

今あの雲の影の中にいたら「急に暗くなったな」「寒くなったな」とか思うかもしれないし、「今日は晴れなさそうだ」と思うかもしれない。でもここから見ていると、それは一時的に雲が太陽の光を遮っているからだというのが分かるし、あの大きさの影ならあと十数分もすれば通り過ぎることも分かる。

普段の生きていてもその通りで、当事者になると視野が狭くなって見えなかったり分からなかったりすることも、一歩引いて視点を変えることで見えたり分かるものがあるんだなと。モンゴルの草原で雲の影を見て思った。

羊をめぐる冒険は読破できなかったけれど、それはそれで私にとっては収穫があったような気がした。

 

【後日譚】

結局「羊をめぐる冒険」は、あれから2年半放置して、ようやく本日一気読みしました。なにも予定のないただの休日に、ベッドの中でゴロゴロしながら。上巻の2/3は私にとってはちょっと退屈だったけれどモンゴルで読んだときほどではなかったし、あの文体はやっぱり独特で良く浮かぶなぁと思いながら読みました(偉そう)。上巻の残り1/3と下巻はミステリー要素もあって面白かったです。

ただ結局どんな話で、何がどう面白かったかと聞かれると、やっぱりうまく答えられないんだけどね。やれやれ。

 

<つづく>

 

(この記事は2019年6月のモンゴル旅行ブログです。やれやれ)

コメント

  1. 1Q84紳士 より:

    ハルキ文体でよく書けますね。
    僕は、羊をめぐる冒険は結局、ダンスダンスダンスに繋がる作品だっけなと思いながら、熱々のコーヒーにハムエッグを乗せて、ジムモリソンのノルウェイの森を聴きながら「ほぼ読破ふた」彼の諸作品を振り返ると、記憶の引き出しに一際目立つ薄紫色の
    すいませんでした。

    • saorigraph より:

      さすが紳士、読んでるね!
      紳士はどことなく『僕』に似ているところがあるような気がしなくもないし、『僕』が紳士に似ているところがあるような気がしなくもない。

      私もこれを機に鼠3部作の1作目と2作目+ダンスダンスダンスも読んでみようと思っているのですが、相当退屈などんよりと曇った灰色の休日でないとアレらを集中して読み切れる自信がありません。
      とりあえず次読むならば、春樹さんの旅エッセイにしようかな~。ねえねえ、最近なんかおススメの本、ない?