横断歩道を渡り終えると、停車していた車の運転手に
『ありがとう!』
と、片言の日本語で声を掛けられた。
一瞬何が起こったのか理解できなかったけれど、
出来事を辿っていくと、なんだかじんわりと心が温かくなった。
先日、ブルネイ・ダルサラームに3泊5日で旅行に行きました。
(実際には台風19号の影響で4泊5日になったのだけど)
ブルネイ・ダルサラームと聞いて、ピンと来る人は少ないと思います。むしろ知らない人の方が圧倒的に多い、と。
職場では私が旅行に行っている間、
『さおりん、今回はどこに行ってるんだっけ?』
『んー、たしかカタカナで4文字のところだった気がする』
『聞いたんだけど忘れたー、まぁいっか』
と誰も「ブルネイ」という国名を思い出すこともなく会話が終了したのだそう。
かく言う私も、ブルネイという国名はなんとなく聞いたことがあったものの、日本語表記では「ブルネイ・ダルサラーム」なんて呪文のような国名だとは思いもよらなかったし、地球上のどこにあるのかも知りませんでした。
ざっくり説明すると、ブルネイ・ダルサラームは東南アジアのボルネオ島に位置する、三重県ほどの面積の国。天然ガスや石油などの資源を多く埋蔵しており、世界でもトップレベルのお金持ち国家です。所得税がなく、医療費や教育費もほぼ無料。それゆえのんびり穏やかな国民性で、一生懸命仕事をしよう!という気はあまりなく(←悪口ではない)基本仕事は定時退社。資源が豊富なので他の産業で外貨を稼ぐ必要がなく、そこまで観光に力を入れていなかったそうです。(今後は力を入れていくと、現地ガイドさんは言ってました)
そんなブルネイを旅行している最中に、冒頭の出来事が起こりました。
ブルネイの街を歩いて気付いたのが、信号のない横断歩道を渡ろうとすると、走ってきた車が必ず停まってくれるということ。ブルネイでは(少なくともわたしが過ごした3泊5日の旅行では)、100%の確率で横断歩道の前で車が停まります。
最終日の夜。オールドモスクのライトアップを見終わり、歩いてホテルへ帰る途中。私たちが横断歩道に差し掛かったところで、走ってきた1台の車がスーッと停車しました。
「この国の人は本当に優しいなぁ」
と思って渡り終えた瞬間、片言の日本語で
『ありがとう!』
と声を掛けられました。
一体誰が…!?そしてなぜありがとう…!?と思い振り返ると、横断歩道で停車した車の助手席側の窓が開けられ、中から運転していた男性が私たちに向けて『ありがとう!』と言っていたのです。
夜の横断歩道には繁華街のような明かりはなく、お互いの顔や表情が認識できないくらいだったにも関わらず。
ブルネイには日本人よりも、同じ系統の顔面なら中国人や韓国人観光客の方が圧倒的に多いにも関わらず。
なんで彼は私たちが日本人だと分かったのだろう?そしてなぜ、日本語で声を掛けてくれたのだろう?
海外旅行に行くと、『どこから来たの?』『チャイナ?』『ジャパン?』『コリア?』と尋ねられ、「日本人だよ」と答えた後に『ありがとうございます(←知っている日本語)』と言われたり、屋台や繁華街の客引きに日本語で話しかけられることは多々あります。問答無用でチーノ攻撃に合うこともあります。
地球規模で見れば日本人も中国人も韓国人も見た目は同じなわけで、当人同士は見分けられても、それ以外の国の人が外見で見分けるのはほぼ無理な話。
10年ほど前、ギリシャのクレタ島を散歩していたら『おお!うちの店にお前の仲間がいるぞ!紹介してやるぜ!』と突然腕を掴まれ、その店の中国人ウェイターを紹介されたことがありました。顔を見た瞬間「『あ、この人は中国人 / 日本人だ』」というのが分かり、気まずい感じで「えっと、、、ニ、ニーハオ?」『コ、コンニチハ?』とせめてお互いの国の言葉で挨拶をした記憶があります。
まぁそれくらい、普段日本人や中国人、韓国人と接していても見分けはつかないし、日本という小さな島国を知らない人だって沢山います。
そんな中、なぜあのブルネイ人は私たちが日本人だって分かったのだろう。当てずっぽうで言うにしても、ブルネイには中国人・韓国人観光客の方が多いので、声をかけた東アジア人が日本人である確率は低い。
なんでかなぁ、なんでかなぁ、と自分達の行動を振り返ってみると、ひとつだけ思い当たる節がありました。
お辞儀(会釈)です。
私たちは横断歩道の手前で停まった車に、ペコっと頭を下げて、それから道を渡っていました。細胞レベル、遺伝子レベルで染みついている日本人の習慣、お辞儀。暗い夜の横断歩道で日本人か否かを見分ける手段と言ったら、これくらいしか思い当たりません。
- お辞儀(会釈)が日本人の習慣だということを知っていた
- 私たちが横断歩道を渡り終えると、車の窓を開けて日本語で声を掛けた
- たとえ一言でも、日本語を知っていた
1つ目は過剰な自意識や勝手な推測ではありますが、これらの事実はわたしの心を温めるのに十分でした。
ここまで紐解かなくても、海外を訪れた時に自分の国の言葉を相手が知っていて、それで声を掛けてもらえるのは単純に嬉しいと感じるもの。海外の人から日本という国を教わることも多く(自分の国と日本はこういう関わりがある、こんな歴史があった、等)、どんな形であれ少しでも「自分(の国)を知ってくれている」という状況を嬉しく思います。
そして同時に、
『果たして自分は、この国の人が日本を訪れた時に何か話せるのだろうか』
といつも思います。
良く言うじゃないですか。「嫌い」よりも「無関心」の方が辛いって。
(個人的には豆腐メンタルなので「嫌い」も「無関心」も辛いですが)
たしかに「無関心」がいくら集まってもゼロはゼロ。そこからは何も生まれないし、何も広がらない。
自分のことを知ってくれている!
自分のことに興味を持ってくれている!
という感覚は、どんなに些細なことでも嬉しいものです。
突然ですが、旅行しやすい環境整備や情報というのは有難い。うん、有難い。
昔話ばかりで申し訳ないですが、初めて姉と海外旅行に行った15年位前。極寒のトルコで今夜泊まる宿を何軒も探し歩いて交渉をしたり、T/Cを両替して何度も金額が間違っていないか確認したり、宿の情報ノートやインフォメーションセンターで情報を仕入れたり、ネットカフェから両親にローマ字表記のメールを送ったりと、普段の生活と旅行はかけ離れたものでした。
それが今ではネットで宿を検索・予約できるし、ATMで現地通貨をキャッシング&クレジットカード決済が出来る。情報はネットで調べれば出てくるし、スマホですぐにSNSに写真をアップすることもできる。海外旅行が普段の生活の延長上にある、そんな感覚すら覚えます。
こうした「旅行者が旅行しやすい環境」や「旅行者へ向けての各地の観光情報、魅力発信」というのは、おもてなしの一要素であることは間違いありません。
いち旅行者としてのわたしの視点では、さらに「現地での人との触れ合いや出来事」というのが、その国や街の印象を左右する要素であると。むしろ最大の要素といっても過言ではないと思います。
相手を知ることが、必ずしもおもてなしに直結する訳ではありません。今回のブルネイでの出来事も、彼は私たちをおもてなししようとか、喜ばせようとか、そんな考えでなく、彼の通常運転(いつもやっていること)だったのではないかなと思います。
ただ相手(私たち)を知っていたことが、巡り巡って相手が嬉しいと思うことに繋がった。相手の文化や習慣、言語を少しでも知っていたことが結果、旅行者の心に強く印象付いた出来事となった。
必ずしも全てに対応することはできなくても、もしかしたらいつか、たった一人の誰かの心に残るかもしれない。
「相手を知る」ことは、そうしたきっかけになり得るのだと。
旅行で行くまで、ブルネイのことを全然知らなかった私。ブルネイに限らず、私のブログを読んでくださった方が少しでも興味を持つような、知るきっかけになるような。そんなブログを書き続けたり、普段からモニョモニョと布教活動をすることが、私にできることかなと思います。
とりあえず、オーストラリア、ロシア、UAE、モロッコ、セネガル、インド、モンゴル、ブルネイの記事が溜まっている(溜めすぎ)ので、ごちゃごちゃ言ってないでさっさと書かねば。これからも宜しくお願いします!
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