2023.10.24 東ティモール・バリ島旅行 Day3
<前回のあらすじ>
ホテル周辺を散策するも、暑くてすぐに帰りたくなるSAORI。通りすがりの優しい東ティモール人・メリーさんが日傘に入れてくれてレストランまで送ってくれた。ディリのレストラン「Dilicious Timor」で東ティモール料理のsabokoを食べた。美味しかったなアレ。
坊とふたりでディリ散歩に出発!
朝目覚めると、坊がおっくんに突き刺さっていました。
おはようございます
まずはホテルで朝食をいただきます。
朝食はビュッフェスタイル。
カラフルなフルーツ。東南アジア感あるー!
キノコとスクランブルエッグとソーセージ。
麺と目玉焼き?と炒飯。
さて。午前中おっくんは仕事なので、わたしと坊だけ暇。
暇なので近所をフラフラと散歩しましょう。
ちなみに今回はディリ(もっと言えばホテルから半径1km以内)ですべての観光を済ませる予定。だって暑いんだもん!(日本からはるばる来た意味よ…)
では坊とふたり、ディリ散歩に出発!
道端ではパイナップルが売られていたり、歩きながら何か商品を売っている人がチラホラ。
向こう岸のパイナップルに気を取られていましたが、正面を向くとそこにはわたしのスマホのカメラをものすごい目力で射貫く、子犬を抱いた男性。それは飼い犬なのか、それとも生まれた子犬の引き取り手を探しているのか、はたまた子犬を販売しているのか。
国が違うと何がノーマルなのか分からなくて、いろいろと想像が膨らみます。
とりあえず子犬はいらないんで、そんなに見ないで…
で。わたしと坊はどこに向かっているかと言いますと。
ホテルから歩いて8分くらいのところにある「東ティモール抵抗運動博物館(Timorese Resistance Archive and Museum)」という博物館。
暑い時の観光はミュージアムに限りますな!
ブルネイのロイヤル・レガリア然り、奈良の奈良国立博物館然り。暑い時の観光はミュージアム系に限る。だって涼しいから。
ということで到着!
こちらが「東ティモール抵抗運動博物館(Timorese Resistance Archive and Museum)」です。
今更だけど、東ティモールってどんな国?
それでは今更ですが、東ティモールがどんな国なのか軽く触れておきましょう。
東ティモールの位置はここ(赤く色付けしたところ)。
東南アジアにある島国で、ティモール島の東半分(西側の一部に飛び地のオエクシ県あり)とアタウロ島、ジャコ島で構成されています。
東ティモールという国名は「ティモール島の東部」を意味しているのですが、そもそも“ティモール”はマレー語、インドネシア語で「東」を意味する「ティムール(timur)」が由来なんだそう。たしかにマレーシアやインドネシアから見ると東側にある島ですもんね。
つまり東ティモールは・・・
東東ってこと・・・?
ひがしひがし。なんだかコンビ名みたいですね。テトゥン語では「ティモール・ロロサエ」と言うそうで、「ロロ=太陽」「サエ=出る」から「日の出」や「太陽が昇る側(=東)」を意味しているんだって。ほほーう。
地図を拡大するとこんな。旅の基本情報と、どんな国なのかのざっくり情報は以下。
東ティモールは長く他国の占領下に置かれていた国。独立したのは2002年。わたしの感覚だと「2002年とか、つい最近じゃない」と思ってしまうけれど、2002年当時わたしは高校生だったので、そう考えるとけっこう前だなぁと思い直しちゃいます。
自分が高校生の時に独立していたのなら何かしら覚えていそうなものですが(毎日テレビ見てたし、社会科では地理を専攻していた)、一体何を勉強していたのでしょうか、東ティモールの独立については一切記憶がありません。
ただ東ティモール紛争に関する当時のニュースの記憶は薄っすらあるのか、東ティモールに行く前は「あれ?東ティモールって前は治安がよろしくない国だったんじゃないかしら?いつから大丈夫になったんだっけ?」というふんわりとした疑問がありました。
「東ティモール抵抗運動博物館」で独立までの道を知る
そんなわたしのふんわりした疑問もひっくるめて、東ティモールの独立までの道を知ることができるのが「東ティモール抵抗運動博物館」です。
これ、やってんのかな?
と思いつつ中へ。施設の中はとても涼しくて、わたしも坊も一息つけました。
博物館に入り、受付で名前や国籍、職業をノートに記入します。入館料はUS1ドル。安い。坊はもちろん無料です。
10ドル紙幣だかなんだかを出したら「ごめん、今お釣りがないんだ」と言われたので、東ティモールの硬貨で支払ったような気がします。うろ覚えですが。
ちなみに東ティモールでは1ドルとかそういった小さい金額の場合は、1米ドル紙幣が使えないお店がほとんどだそうです。なのでセンタボ(東ティモールの硬貨)を持っておくと安心だよ。
さて、博物館の中は撮影禁止なので写真はありません。
ポルトガルによる植民地支配からインドネシアによる占領、そして独立に至るまでがパネルや展示品で説明されていました。説明文は英語、ポルトガル語、テトゥン語で書かれていて、全部読んでいたら何時間かかるんだろう…というものすごい情報量。もちろんわたしは英語もポルトガル語もテトゥン語もさっぱりなので、大枠だけ読んでけっこうすっ飛ばしました。
なので自分自身の復習を兼ねて、東ティモールが独立に至るまでのアレをざっくりと書きますと(長いので興味ある方だけどうぞ)。
東ティモールは16世紀にポルトガルによって植民地化、その後ポルトガルとオランダがわちゃわちゃしてティモール島は東西に分割(東をポルトガル、西をオランダが統治)。
ポルトガルが中立を守った第二次世界大戦では、一時日本軍がティモール全島を占領したりとすったもんだしたが、日本が敗戦し再びポルトガルが統治。
1974年にポルトガルでカーネーション革命が起きて植民地維持の体制が崩壊し、国内では3つの派閥(独立派、ポルトガルと関係維持派、インドネシアと統合派)の争いが激化。独立派が一時独立宣言をするも、今度はインドネシア軍が侵攻してきてインドネシアの27番目の州として併合宣言。
インドネシア占領下では激しい弾圧を受け、多くの東ティモール人が命を落とした。1991年にデモ隊に向けてインドネシア軍が無差別発砲し、400人近くが殺害された(サンタクルス事件)。この事件の様子を捉えた映像は、その場にいた海外のジャーナリストにより国外へ持ち出され、東ティモールの現状が知られるきっかけとなった。
1998年にインドネシアの独裁政権が崩壊し、新政権は東ティモール独立容認の立場をとる。1999年に行われた住民投票で東ティモールの独立が決定すると、これを不服としたインドネシア併合派民兵やインドネシア国軍が東ティモール住民を襲撃、虐殺し、町を破壊(東ティモール紛争)。オーストラリアを中心とした国連平和維持軍がこれを制圧し、東ティモール独立までは国際連合東ティモール暫定行政機構が統治。
そして2002年5月20に東ティモールが独立。
という流れだそうです。日本も絡んでいたんですね、第二次世界大戦で。博物館ではvsインドネシア軍の頃の展示が多く、実際に戦いで使用されていたアイテムやゲリラ組織の隠れ基地みたいな部屋、殺害された(闘った?)若者が着ていた衣服や生前の写真なども展示されており、なかなかズズンッと衝撃を受ける内容のものもありました。
植民地化されたことのない日本、そして戦争を体験していない私たち世代には、命をかけて自由を勝ち取るということがどれだけ過酷で、同時にどれだけ憧れて止まないものなのか、正直分かりません。分からないけれど、この博物館を訪れて、この国には自由を勝ち取るために命がけで闘った人たちがいたということを知ることはできました。
旅行した国について少し調べたり見聞きすると、実際にはその国の歴史はその国が単体で歩んで築き上げたわけではなくて、世界のいろんな国がさまざまな時代に複雑に絡んでいることが分かって、全部を知りたいけれど全部を知るにはどれだけ時間があっても足りないし、劣化するだけのこの脳みそでどこまで理解できるものかと軽く絶望したりもします。
特に何かに役立つわけではないけれど、知るのはやっぱり楽しい。
ということで博物館を後にし、坊とふたたび散歩に出発です!
<つづく>
(この記事は2023年11月の東ティモール・インドネシア(バリ島)旅ブログです)
コメント
今回のSaoriンゴ講座も、大変勉強になりました。
無知を恥じ入っております。
地球儀をもう少し東へ回すと、パプアニューギニアや、かのガダルカナル島のあるソロモン諸島がありますね
現代ですら行くのに大変そうなのに、無謀というか、よくここまで戦域を広げて戦ったなと感慨深いです。
東アジア諸国独立の礎に、大東亜を掲げ海空に散っていった我々祖先の御霊を感じずにはいられません。
かくまで醜き国に成り果てた今の日本をみると、ただ無念の一言につきます。
旅は、歴史感覚を肌身に感じれる最高の機会ですね。
坊様の行く末が楽しみです。
万歳、万歳、万歳
こんばんは、昨日帰国しました。
そう!紳士、わたしの気持ちをなんかうまく言葉にしてくれますね。
本当、ただの小さな島国がこんなところまで…!それはさすがに無謀すぎたんじゃ?ってすごく思う。
前に行ったブルネイ然り、この東ティモール然り。
そして今回行ってきたウズベキスタンの首都タシケントには、敗戦後に強制連行されて亡くなった日本人捕虜の慰霊碑もあって、
あの戦争の末路というか、我々が知らないだけでものすごくたくさんの人が苦しんだんだなぁと思いました。
坊は今回の旅で、現地料理のラグマンといううどんを堪能しておりました。
炭水化物大好きマンです。